【懐かしの一面記事】40年!田中家の挑戦 酒、調味料のアサンサービス(2016年3月掲載)
あの頃のタイをもう一度
弊社フリーペーパー「タイ自由ランド」は、2026年9月をもちまして創刊30年目を迎えます。
これまで誌面を飾ってきた歴代の一面記事を復刻し、当時の記事とともに、懐かしいバンコクの街並みや、その時代を彩ったタイでの出来事を振り返っていきます。
今とは大きく姿を変えたバンコクの街、当時話題になったニュース、暮らしや流行、そして在タイ日本人を取り巻く環境――。
過去の記事を読み返してみると、そこにはその時代ならではのバンコクの空気が詰まっています。
「こんな場所があった」「こんな出来事があった」と懐かしく感じる方も、まだ当時のバンコクを知らなかった方も、ぜひ30年の歩みとともにお楽しみください。
あの日の一面から、バンコクの30年をたどります。
〈2016年3月掲載〉40年!田中家の挑戦 酒、調味料のアサンサービス
豊富な種類の酒類から調味料、食料品など一般家庭向けにデリバリー販売している「アサンサービス」。
数多くの銘柄のお酒を扱っているため、一般向けには「バンコクの三河屋さん」のイメージが強いですが、ナワナコンの工場で醤油、味噌などの醸造技術を使った調味料を中心に製造しており、バンコクの飲食店のみならず、海外にも輸出している歴史のある会社でもあります。
現在は、二代目の田中克治さんが代表を務めており、創設者は父の田中熱(あつし)さん。熱さんは40年前、タイ産もち米の調査のため来タイしたのをきっかけに、その後タイと日本に会社を立ち上げ、タイ産のもち米を使用した日本向けのみりんの製造に成功。コストを抑えながらも日本産のものとかわらない画期的な商品で、当時、日本の大手食品会社に大きな影響を与えました。その後はベトナムにも工場を設立し、様々な商品開発に取り組んできました。



現在のデリバリーサービスでは、主婦を中心とした女性の利用者が9割で、消費の多い、水、米、ビールがダントツの売れ行きとのこと。
しかし、「弊社でしか扱っていない日本の銘柄の酒や、自社工場で製造した芋焼酎や調味料なども自慢の商品ですので、ぜひいろいろ試してみてほしい」と克治さんは話します。
ナワナコンの工場で製造している調味料は、醤油、味噌、ソース類、豆腐など。
タイ国内で製造しているため、日本のブランドと比べてもかなりの低価格で販売できるのも特徴で、例えば醤油1ℓ76バーツ、味噌500グラム56バーツ、豆腐一丁60バーツなど。
伝統的な日本の醸造技術を守った製法とのことで、醤油は酵素を使って熟成を早める技術が圧倒的ななか、半年間たっぷり寝かせた天然熟成の濃口しょうゆです。
また、豆腐は防腐剤など使用しておらず、その分、賞味期限は短いですが、大豆の濃度が濃い、濃厚な味が特徴となっています。
さらに、機械に頼らない手作業を中心とした製造法もこだわりとのことで、とんかつ、やきそばなどのソース類は、新鮮な野菜を人の手で洗浄、カットし、煮込みまでの工程をすべて手作業で丁寧に行った自慢の品です。
アルコール類を中心に製造しているグループ会社のベトナム工場からは料理酒、みりん、焼酎、梅酒なども輸入し、あわせて販売しています。
昨年は、紫芋を使用した新作の焼酎「紫の天使」も登場しました。ベトナム産の芋は品質がとてもよいそうで、芋焼酎は目隠しして飲めば、日本のものとも違いがわからないクオリティー。ロックでもいけて、さらに値段も900mlで495バーツ。一般の人にもぜひ試してほしい商品です。
もともとは飲食店などに卸販売をしていたアサンサービスですが、一般向けにデリバリーサービスを開始したのは2008年のことでした。(31面につづく)
14年前に、従来の製造業に加え、アサヒビールの代理店を始めるようになり、その後、日本の銘柄のお酒も多く取り扱うようになりました。一般向けにも販売できないかと考えるようになりましたが、スーパーでは取り扱ってくれる数には限界があるため「バンコクの三河屋さん」と称し、一般向けのデリバリーサービスを開始しました。
当初は意外にもビールしか売れずに、商品の取り扱いに四苦八苦したといいます。
水や食料品も販売してみたところ、多く注文が入るようになり、今後も日本の人気商品や食品など、品揃えを充実させていきたいと語ります。
克治さんは、山梨生まれの日本育ち。3人兄弟の三男ですが、父の跡を継ぐため、高校卒業と同時に、幼いころからよく連れてこられたタイにやってきました。
当時は、タイのことも、製造のことも知らず、タイ語学校やタイの大学に通ったのち、日本に戻り、会社勤めをし、そこで醸造について学びました。
その後、ふたたびタイにやってきたのが16年前で、ちょうど日本人が増え始めた時代でもあり、トンロー通りにはすでに日本食店がいくつかありました。主にスクムビット奇数側に店が集中しており、偶数側で経営すると失敗する『鬼門』と呼ばれたジンクスがありました。定食もまだ100バーツほどで食べることができて、当時は、日本からの酒類が少なかったため、ベトナム工場で製造した焼酎がとてもよく売れたといいます。
克治さんの兄弟もそれぞれ父の跡を継ぎ、長男は日本の会社、次男は山梨で父が一番最初に始めた酒屋を任され、さらに最近は新潟の酒造を買い取り、高級みりんの開発に奮闘中といいます。
一方、父の熱さんは、会長の席につき、現場を息子達に任せましたが、現在は、なんとチェンマイの山奥で、養豚に挑戦中とのこと。工場で出たみりんや醤油のしぼりかすを食料として与え、質のよい豚を育てる研究をしているそうです。
「父は今でも働くことが好きなんです」と話す克治さんですが、日本の伝統的な食文化を海外に伝えたいという熱さんの想いを、今では息子達が引き継ぎ、それぞれの場所で奮闘中です。
【2026年現在 アサンサービス】

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