2023年の幸せなソンクラーン

2023年4月15日

ハッピーソンクラーン!サワディーピーマイカー  สวัสดีปีใหม่ค่ะ 

現在、ソンクラーンの真っただ中です。

みなさま、何をしてお過ごしでしょうか?

私は、特別どこに出かけるわけでもなく、娘と近所や公園に行き水かけを楽しんでいます。

何でもない休日ですが、ここ数年で一番幸せを感じるソンクラーン期間です。

というのも、過去3年のソンクラーンは、コロナの影響で、

ほとんど、どこにも行けませんでした。

3年前は、娘の幼稚園自体が始まらないという事態になっており、

2年前は、ソンクラーン休みの数日前に、突然、政府の通達で幼稚園に行けなくなりました。

昨年は、ようやく通常に戻りましたが、水かけやイベントは禁止でしたね。

私の娘は物心ついてから、一度もソンクラーンの水かけを経験したことがありません。

今年はようやく水かけをして遊べるようになりました。

ソンクラーン期間のバンコクは人が少なくて、公園は貸切状態

みんな、田舎に帰ったり、どこかに遊びに行っているのか、バンコクはとても静かです。

それでも、数人水かけをしている子達がいるので、一緒に遊びました。

外国から旅行に来ている人も参加していましたね。

夕方、帰る頃になると、10代、20代の若者が水鉄砲を持って歩いている姿を見ます。

クラブやセントラルワールドなどのイベントに行くんでしょうね。

そんな姿を見ているだけで幸せな気持ちになります。

何でもない日常が一番幸せなんですね。

もうひとつ、平穏な気持ちになるのが、

ソンクラーンの期間中に、コンドミニアムやオフィスのロビー、モールに飾られてあるお釈迦様を拝見するときです。

住まいのコンドミニアムのロビーに飾られているお釈迦様の仏像

ソンクラーンの挨拶、サワディーピーマイのとおり、タイの旧暦で

新しい年が始まるため、ピー(年)マイ(新しい)について、おめでとうとかサワディーと言っているわけです。

もっと正確に言うと、お釈迦様の生誕を祝う行事であり、

水かけはもともと、お釈迦様が誕生したときに、天から甘露が降り注いだという言い伝えから始まったそうです。

広場の仏像に水をかけて、手を合わせるタイ人。ソンクラーン期間中に見られる光景

ソンクラーンは派手な行事のイメージがありますが、

お釈迦仏を通りすぎるタイ人は、粛々と水を掛けて手を合わせていますね。

私は仏像が大好きなので、タイでもお釈迦様を見かける度に写真を撮ってしまいます。

ソンクラーン期間中、モールに飾ってある仏像
ソンクラーン期間中、タイのスーパーに飾ってある仏像
ソンクラーン期間中、タイの広場に飾ってある仏像
ソンクラーン期間中、タイのモール入口に飾ってある仏像
ソンクラーン期間中、タイの街中に飾ってある仏像
ソンクラーン期間中、タイの街中に飾ってある仏像
ソンクラーン期間中、タイのモールに飾ってある仏像

ソンクラーン期間中、タイのスーパーに飾ってある仏像
ソンクラーン期間中、タイの公園に飾ってある仏像
ソンクラーン期間中、タイのホテルに飾ってある仏像

たくさんの花に囲まれていて、水を仏様に掛けるときに、とてもいい香りがします。

日本でもお盆が大好きでした。

日本のお盆は、お墓参りをしてご先祖様を迎えるものですが、

夕方、家族でお墓参りに行き、そこのお寺の中にも入って、仏様に手を合わせました。

厳かな、なんともいえない雰囲気が大好きでした。

タイは日本の仏教とは少し違い、上座部仏教が主流ですね。

数年前に、仏教や仏像に関する書籍を読んだときに、

大乗仏教が主流の日本にはたくさんの種類の仏像がありますが、

タイでよく見かける仏像は、ほとんとが釈迦如来だと知りました。

日本の仏像と違い、穏やかで余分な肩の力が抜けたような軽やかですっきりした印象ですね。

以前は、無知すぎて如来と菩薩の違いも知りませんでした。

如来は簡単に言うと、悟りを開いた者を指します。仏様のことですね。

ですので、ソンクラーンでもよく見かけるタイの仏像(釈迦如来)は、悟りを開いたお釈迦様のお姿です。

そして、菩薩とは、実はまだ悟りは開いておらず、悟りを開くために修行中の身でありながら、

困っている人がいると救済してしまうという者を指します。

あの人は菩薩のようだという表現は、

私は長年、仏様のようだとか神様のようだという表現だと思っていましたが、

実は違うんですね。菩薩はあくまで修行中の身の方なんですね。

紀元前5世紀あたりに、シャーキャ族(シャーキ族)の王子として生まれた、

ゴータマ・シッタルダは、現世の苦しみからどうすれば逃れられるのか?

と、旅や苦しい修行をしながら考え続けました。

最終的に悟りを開くことだと発見し、その教えを人々に広めた方であり、

原始仏教というのは極めてシンプルですね。

タイの上座部仏教は、修行をすることで自己を救済するという、

もともと原始仏教に近い教えのまま、タイに伝わったもので、

一方で、お釈迦様が亡くなって1世紀たったあたりから、

対立する考えも広まっていました。

その対立する教えが、私達日本人の主流になっている大乗仏教の教えの原点であり、

わざわざ修行をしなくても、他者を救済する利他の心がはじめてあって、

悟りを開くことができるというものです。

まさに、菩薩様の行いを指しますね。

ですので、大乗仏教が飛鳥時代に伝わって、それがまた、いろいろな変革をとげて今にいたるわけですが、

私達日本人の仏教は、菩薩様を信仰する宗教といわれているほど、上座部仏教とは違う性質だそうです。

般若心経も『観自在菩薩(かんじざいぼさつ)』から始まりますが、

これは、観音菩薩を指し、観音様の愛称で呼ぶこともありますね。

つまり、観音様は如来ではなく、菩薩なのです。これも長年知らないことでした。

観音様は、悟りを開いた優しい女性の仏様のことだと漠然と思っていました。違うんですね。

観音様=女性的というのも一般的なイメージですが、観音菩薩はもともとは男性だったという説が有力です。

慈悲とか慈愛とか、なんとなく母性を感じるイメージがあり、女性の姿に変わっていったそうです。

サンスクリット語でアヴァローキテーシュヴァラといいますが、

はるか10年以上も前に、ネパールを旅行したときに、アヴァローキテーシュヴァラ~♪♪

と歌っている曲が、レストランでずっと流れていて、

その数年後に、あれは観音菩薩のことを指すと知ったときに、何ともいえない不思議な気持ちになりました。

その歌がとても好きだったからです。

もっと、若かった頃に京都を旅したころは、泉涌寺という、そこそこ山奥のお寺にある楊貴妃観音像がなぜか一番好きで、

そのとき買ったお守りは、今でも大事に持っています。

観音様のルーツを知ったときに、私が旅をしてお気に入りだったものが、どちらも観音様に関連するものだと気付きました。

私は観音様に優しく見守られている幸運な身なんでしょうか。

話にまとまりがなくなってしまいましたが、

私が所属する宗派は曹洞宗ですが、日本の仏教はどれも興味がありますし、お釈迦様から始まった原始仏教から

そこから枝分かれした伝わった、タイの上座部仏教も、スリランカやミャンマー、カンボジアの上座部仏教もどれも興味があります。

その割には、最近本も何も読んでいません。

バンコクの古本屋キーブックスで買った仏教の本

久々に本棚から取り出してみました。

仏教に関する書籍はいくつか持っていますが、これはプロンポンのキーブックスでなんと100バーツで買ったものです。

ちょっと難しいですが、とてもよくまとめられている本です。

ソンクラーンでタイ人が手を合わせているお釈迦様を見ていて、

もう一度本を読んで勉強してみようという気持ちになりました。

皆様もよいソンクラーンをお過ごしください。